大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和36年(ワ)2603号 判決

原告 戸井田克己

被告 国

訴訟代理人 小林定人 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し、金一三一万円及びこれに対する昭和三六年四月二三日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求原因として、

一、(国家賠償法による損害賠償請求)江戸川税務署長は訴外共栄金融商事株式会社(以下訴外共栄金融商事という。)に対する国税滞納処分として、その所有にかゝる、東京都墨田区吾嬬町東三丁目三一番地所在家屋番号同町二四三番の三木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪二七坪、二階一七坪(以下本件建物という)の公売処分をしたが、右公売手続において原告は昭和三一年一二月一六日本件建物を競落し、同月二一日同税務署長の売却決定を受け、その代金一三一万円を納入し、昭和三二年四月一八日本件建物につき原告のための所有権移転登記手続がなされた。

二、しかるに原告は昭和三三年本件建物の敷地である東京都墨田区吾嬬町東三丁目三一番地、宅地四九坪五合六勺(以下本件土地という。)の所有者である訴外株式会社ローヤル事務器製作所(以下ローヤル事務器製作所という)から、本件建物を収去し本件土地を明渡せ、との訴訟を提起されたが、その理由とするところは本件土地の賃借人である訴外後藤栄一が地代の支払を長期にわたつて、怠つたので、本件土地の賃貸借契約は昭和三一年一一月一八日限り解除され消滅したから原告の本件土地の占有は不法占有である、というのである。原告はこれに応訴したけれども、結局第一、二審共原告が敗訴し、昭和三五年一二月訴外ローヤル事務器製作所より本件建物収去、本件土地明渡の強制執行を受けた。これによつて、原告は少くとも、被告に納入した公売代金相当の損害を受けた。

三、右の損害を受けたのは、公売処分をした江戸川税務署長古川国安が、本件建物の敷地である本件土地について訴外共栄金融商事が借地権を有するか、否かその賃料支払の有無および賃借人の交替等の事情を調査しなければならないのに、これを怠り、調査せず、又右公売処分の公告に当つては、国税徴収法施行規則第一九条第一号に定める「その他重要なる事項」として、右借地権の有無について公告しなければならないのに、公告しなかつた違法行為に基因するものである。よつて、原告は国家賠償法第一条により被告に対し右損害の賠償を求める。

四、(不当利得の返還請求)、仮に右請求が認容されない場合には次のとおり、主張する。江戸川税務署長古川国安は本件建物の所有者である訴外共栄金融商事が本件土地について借地権を有するものとして本件建物の公売処分をしたものであり、原告もまた右借地権が存在するものとして右公売処分において競買申出をしたものである。右税務署長は右公売処分の公告において本件建物の最低見積価格を一三一万円として公告したが、本件建物のみでは精々四〇万円位の価格しかなく、右見積価格は借地権付の建物の価格である。従つて原告がした競買申出は借地権付建物としてなしたものであり、これに対する承諾である税務署長の売却決定も借地権付建物としてなしたものであつて借地権付であることは明示又は少くとも黙示的に表示されている。しかるに前述のとおり、原告が売却決定を受ける以前において、本件土地の借地権は消滅しており、本件建物の所有者は本件土地を不法占有していたのである。本件建物の公売処分においては、借地権が存在していたか、否かは極めて重要な点であつて、借地権がないとすれば、何人も一三一万円という莫大な代金をもつて競買申出をするはずがない。原告のした右競買申出はその要素の錯誤があり、無効である。仮に借地権のあることが表示されていないとすれば原告の右競買申出は動機の錯誤によるものであるが、原告は本件建物の敷地については借地権が存在していて、引続き本件建物並にその敷地を使用収益できる性質のものと心中予期して競買申出をしたものであるが、客観的事実は心中予期した事実と全く異つていたものであるから、かゝる場合には目的物自体に関して意思と表示とが無自覚に不一致を来した場合に準じ、無効とすべきである。いずれにしても、原告と右税務署長間の本件建物売買契約は要素の錯誤により無効である。従つて、被告は法律上原因なくして一三一万円を利得したといわなければならないから、これを原告に返還すべきものである。

と述べ、

抗弁に対し、被告主張のごとき義務が競買人にあることは否認する、と答えた。〈立証省略〉

被告指定代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として、請求原因事実中

一、の事実は認める。

二、の事実中、原告が訴外ローヤル事務器製作所より原告主張のごとき訴訟を提起され、第一、二審とも原告が敗訴したことは認めるが、その余の事実は不知、

三、の事実中、江戸川税務署長が、本件建物の公売処分にあたり、訴外共栄金融商事が敷地である本件土地について借地権を有するか、否か等について調査しなかつたこと、右借地権の存否等について公告しなかつたことは認めるが、その余の事実は争う。江戸川税務署長のした本件建物の公売処分には何ら違法の点はない。すなわち、収税官庁は建物の公売公告においてその敷地の賃借権について、その存否、賃料支払の有無、および賃借人の交替の事情等を調査して、これを公告する義務はなく、従つてこれをしなかつたことは何等違法ではない。本件建物の公売当時施行されていた国税徴収法および同法施行規則には、建物の公売手続について、その敷地に対する借地権の存否を調査して、公告すべきことを命じた規定はなく、従つて、かゝる措置をとることは何等収税官庁に要求されていなかつた。これは法の建前として、建物の公売処分においては、当該建物を現形のまゝ公売の目的物とするものであつて、その敷地についての賃借権の存否等の事情は、収税官庁において調査公告する要はなく、むしろ買受人が自ら調査しその調査に基いて買受の申出をするかしないか及びその申立価格をいくらにするか等の意思決定をすべきことゝしているからである。

四、の事実のうち、本件建物の公売処分において最低見積価格を一三一万円として公告したことは認めるが、右公売処分が訴外共栄金融商事において本件土地に対し借地権を有するものとして行われたことは否認する。

と答え、抗弁として、

仮に原告の競買申出に要素の錯誤があつたとしても、建物を公売処分において買受ける者がその敷地について賃借権の有無及びその内容を調査するのは通常なすべき注意義務の範囲に属するところ、原告はなんらかゝる措置をとらなかつたのであるから、原告には重大な過失があつたというべきである。従つて原告は錯誤による無効を主張できない。

と述べた。〈立証省略〉

理由

一、江戸川税務署長古川国安のした本件建物の公売処分において、原告が昭和三一年一二月一六日一三一万円で競落し、同月二一日同税務署長の売却決定を受け、その代金を納付し、昭和三二年四月一八日本件建物につき原告のため所有権移転登記がなされたこと、同税務署長が右公売処分において、本件建物の所有者であつた訴外共栄金融商事がその敷地である本件土地について借地権を有するか否か、等について調査し、これを公告しなかつたことは当事者間に争いがない。

二、右税務署長が借地権の存否等について調査し、かつ公告しなかつたことが違法であるか否かについて考えるに、国税徴収法(明治三〇年法律第二一号)第二四条に基く、同法施行規則(明治三五年勅令第一三五号)第一九条は公売をするときに公告すべき事項を列挙しているが、その中には建物を公売する場合に、その敷地の借地権の存否、その賃料未払の有無、借地権譲渡について地主の承諾の有無もしくは承諾の可能性の有無等建物の敷地利用権に関する事項を公告すべきことを明示した規定は存在しない。唯同条第一号には「公売財産ノ名称、数量、性質、所在其ノ他重要ナル事項」と規定しているので、建物公売の場合における敷地利用権に関する事項が「ソノ他重要ナル事項」のうちに含まれるか否かが問題となる。この点で解釈の参考となるのは公売処分と同様に国が建物所有者から処分権を取り上げて売却する、不動産強制競売、および抵当権実行による不動産競売の規定およびその解釈であるがそのいずれの場合でも建物敷地の利用権に関する事項を公告すべきことを命じた規定は存在しないしかゝる公告を必要とするとの学説判例もなく実務においてもかゝる事項を公告していない。かゝる同種の競売の場合をも参酌して考えると「其ノ他重要ナル事項」のうちに建物敷地の借地権の存否等の事項が含まれると解することはできないといわなければならない。勿論建物は敷地なくして存在し得ないのであるから、敷地の借地権の存否は競買人にとつて、重大な関心事であることは否定できないが、公売や強制競売等の場合に建物所有者が敷地の賃借権を有していたとしても競買人は建物と共に譲り受けた賃借権を当然に敷地の所有者に対抗できるわけではなく、敷地所有者の承諾を得なければならない(敷地所有者が承諾しない場合には建物買取請求権を有するにすぎない)のであるから競買人は遅かれ、早かれ敷地所有者と交渉しなければならないのであつて、建物の公売や強制競売の場合に敷地の借地権の存否等に関する調査の責任を国が負わず、競買人に負わせたから、といつてかゝる解釈を違法と断ずることはできない。してみると江戸川税務署長が本件土地について訴外共栄金融商事が借地権を有するか否か等について調査せずかつ公告しなかつたことは違法とはいえないから、国家賠償法第一条に基く原告の請求は理由がない。

三、次に錯誤による売買契約の無効を理由とする不当利得の返還請求について考えるに原告は、本件建物の公売処分は借地権を有するものとしてなしたものであり、原告の競買申出も借地権のある建物としてなしたものである、と主張するが、既に述べたとおり、建物の公売処分は、敷地の賃借権その他利用権の存否にふれることなく建物を現形の侭公売するものであつて敷地の賃借権その他土地利用権が存在するものとしてなされるものではないから、本件建物の公売処分が本件土地につき借地権が存在するものとしてなされたという原告め主張は理由がない。もつとも、江戸川税務署長が本件建物の公売処分において最低見積価格を一三一万円として公告したこと、原告が一三一万円で競落したことは当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、建物のみの価格は最低見積価格より、低いことがうかがわれるが、建物公売の性質が前記のとおりである以上、右最低見積価格の公告のみで本件建物の公売を借地権の存在するものとしてなされたと解することはできない。又原告の競買申出が本件土地の債権が存在することを表示してなされたことを認めるに足る証拠は何等存在しない。してみると本件建物の競買申出及びこれに対する江戸川税務署長の売却決定(以下単に本件売買という)は明示又は黙示的に本件土地につき借地権が存在するものであることを表示してなされたという原告の主張は理由はない。

四、原告本人尋問の結果によれば、原告が一三一万円で本件建物の競買申出をしたのは、本件土地について訴外共栄金融商事が借地権を有するものと考えた結果であることが認められ、又、当事者間に争いのない、原告が訴外ローヤル事務器製作所から原告主張のごとき訴訟を提起され、第一、二審共原告の敗訴となつた事実及び原告本人尋問の結果によれば、訴外共栄金融商事は本件土地について借地権その他利用権を有していなかつたことを認めることができるので、原告の右競買申出は動機に錯誤があつたものと認めるのが相当である。しかしかゝる動機の錯誤は、それが表示されていない以上、錯誤者は無効を主張できないものと解すべきであるが、原告の競買申出には、原告主張のごとき動機の錯誤が表示されていたことを認めるに足る証拠は何等存在しない。従つて動機の錯誤を理由とする原告の主張も理由がない。原告は動機の錯誤であつても本件のような場合には、表示の錯誤に準じて無効とすべきである、と主張するがかゝる解釈は採用できない。のみならず建物の公売処分の場合には、民法第五七〇条但書の趣旨に鑑み競買人はたとい、競買申出もしくは競落当時建物敷地の賃借権その他土地利用権が存在しなかつたとしても、その不存在の故をもつて、民法第九五条により右競買申出もしくは競落が要素の錯誤ある無効のものと主張できない、と解するのが相当である。

五、してみると、原告の本訴請求はすべて失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡松行雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例